関谷都さん(OL)
いつ、どのようにわたしはイエスを自分の救い主として受け入れたのか?
メッセージが終わった時、私の顔は涙でぐちゃぐちゃになっていました。そして最後のお祈りをした時、私は神様の前にひざまずいていました。
ああーっ。神様ごめんなさいー。私、今まで確信が与えられない確信が与えられないと、なぜ神様は私に確信を与えてくださらないんだろう、いったいいつになったらそれが頂けるんだろうとずっと思っていました。でも神様はもうずーっとずーっと前から既に私にそれを与えて下さっていたんですね。私はその様なものを受け取るにはまだまだ足りない者です、まだまだ信仰がたりません。まだ聖書も読みたりません。まだ御言葉も全然知りません。毎日のお祈りもさぼってばかりです。まだ神様に近づけるような者ではありません。私は足りない者です足りない者です、それが受け取れるような者ではありません、それを受け取るにはもっと何かをしないとだめなんだ、と勝手に自分で自分のハードルを高くしてしまっていて、受け取らなかったのは自分の方だったんだーっ・・・っと気が付いたのです。既に与えられているものを受け取ろうとせず、さらに何か他のものを与えてほしいと願っていたのです。
だからきっと、私がいい子にしていたら、もっと信仰深くなったら、また聖書を毎日読んだら人に優しく出来たら、心で人を裁く事がなくなったら、行きたくないけど毎週日曜日
集会に通ったら、もっと色んな事を理解しもっともっと神様に近づけたら、きっと神様は私を認めてくれるのかもしれない。そしたらきっとそれを与えて下さるんだ、と思っていたのかもしれません。
でも、神様、私は神様が私に入ってきてくれるのを、何かを与えてくれるのを待っているつもりでいましたが、待っていてくれたのは神様だったのですね。私はあなたが、「受け取りなさい」と言っているメッセージにずっと気づかず、あなたがせっかく与えて下さっているものを拒んでいたのはこの私の方でした。神様ごめんなさいっ。本当に本当に大ばか者でした。愚か者とは私のことです。
メッセージの中の1つのお話で、T氏の大事な湯のみを割ってしまわれたお嬢さんの
お話がありました。許しているって言っているのに受け入れない、怒ってないって言って
いるのに受け入れない、ようは自分の言葉を全然信用していない、お父さんがこんなに
言っているのにわからないのか、とその事を納得出来るまで私も何ともいえない深ーい
哀しみがあった、というお話がありました。そして、お嬢さんが「お父さん、ごめんなさい・・。これで許して下さい」と言ってたった5年生の小さな女の子がその代償としてお年玉で貯めたお金を持ってきた時、親として一番さびしかった瞬間だった、・・・・・と。
私はその、お金を持ってきた時親として一番さびしかった瞬間だった、というくだりを聞いた時、胸の奥底の急所の部分ががズッキーンと痛みました。まるで胸のど真ん中から背中にかけて何か槍のような物で思いっきり体を刺し通されたような衝撃でした。それは御言葉ではなく「さびしかった」という感情の言葉でしたが、まるで新約聖書の御言葉、ヘブル4:12「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、魂と霊、間接と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます」とあるように、何かで心を刺し通されたような感覚でした。
私は今まで、未熟ながらも神様を喜ばせたい、神様を喜ばせたい、という思いがありました。でもその喜ばせたいって思っている私が、実は神様に対して神様が一番寂しいと思うことをしていたんだ、せっかく与えてくださっている神様にすごく失礼な事をしていたんだ、っと思ったら、何とも言い表しようのない気持ちになりました。その時、ああーっ、神様ごめんなさい。私神様を喜ばせたいって思っていたけれど喜ばせるどころか、私神様にすごく寂しい思いをさせていたんですね、私神様にすごく失礼なことをしていたんですね、神様あなたが私に与えようとして下さっている物を私は拒み続けていたんですね。今の私が出来るあなたを喜ばせる方法は、あなたが準備して与えてくださっている物を感謝して受け取る、という事だったんですね。素直に、ただ「いただきます」と言ってただ受け取れば良かったんですね。救って下さって感謝します。どうぞこんな私を憐れんでください、とただ神様あなたのもとに駆けよっていけば良かったんですね。
私はなんとトンチンカンな事をしていたのでしょう?なんと的外れな事をしていたのでしょう?まるでその女の子が父親に全く意味のない、それどころか反対にそれを寂しいと思うような物を捧げるかのように、私もその娘(こ)と全く同じ事をしていたのです。神様に近づきたくて、神様に喜んでほしくて、神様に許してほしくて、神様に認めてほしくてしていた全ての事がまったく的外れであった事に気が付きました。そしてまた傲慢さゆえに、自分の方法によって信じようと、自分の方法によって救われようとしていたのです。そうではなくて、ただあなたのもとに立ち帰り、「神様、こんな罪人の私を愛して下さってありがとうございます、あなたを信じます、どうぞこの私を憐れんで下さい、救って下さって感謝します、アーメンその通りです」と神様あなたが用意して下さった物をただ素直に受け取れば良かったんだ、素直に「いただきます、ありがとうございます」とただ受け取れば良かったんだと。それが一番神様が喜んで下さる事だったんだ、という事に気づかされました。
(10ページへ続く)
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