関谷都さん(OL)

主イエス・キリストを受け入れる以前、私はどのような者であったか?

「キリスト教?」・・・。聖書に出会う前私はキリスト教と聞いても、自分とは無縁の物だと思っていました。いや、むしろキリスト教と聞くと何か非常に宗教めいていて、それらの人々と関わることやそれらの物と関係することが非常に嫌でした。自分の生まれた家やまた母の田舎も仏教でそれぞれ仏壇がありましたし、代々先祖を大事にしている家系でした。また私自身もどこかへ遠出する時や大事な日などは必ず出かける前に、また帰ってきてから、仏壇前でご先祖様に手を合わせ無事の感謝をささげていました。また、あまり真剣に考えたこともありませんでしたが、科学的なものしか信じておらず、非科学的な分野だと思われる神という存在はいないと思っていました。いないと思っていたというよりも、「神様」というのは自分の心の中に住む良い心、「良心」だと思っていました。例えば何か悪い事をしてしまってそれが誰にも知られていないとしても、また心の中で悪い事や意地悪な事を考えてしまったとしても、それは外からは見えません。が自分自身は知っている。それを戒める心の良心が自分の中の神という位置づけでした。まさか神という目には見えねど私達人間と同じように人格を持つ存在がいるなどとは考えられませんでした。また、自然界自体を神だと思っていました。自然界は見れば見るほど知れば知るほど信じられない程に全てにおいて見事に調和が取れていてすばらしく、不思議でたまりませんでした。しかし、それら万物を創造された方、創造主がおられるなどというところまでは知識がなく知恵が及びませんでした。だから自然そのものが神だとも思っていました。

また、小さなころからの家庭環境や境遇も関係していたのでしょうか。経済的には何不自由なく育ててもらいましたが、私の心はいつも愛を求めていました。自分自身も今と変わらずたいへん手の焼ける子供だったのかもしれませんが、精神的に非常に愛情不足で育ってしまった様に自分では感じ、それが故に、どこかありのままの自分を受け入れられない、自分で自分を認められないそんな大人に成長してしまったように思います。そんな私は、自分がこうしたい、こうなりたい、これが欲しい、と思う時、それは自分で手に入れていくしかないんだ、人に頼ることは出来ないんだ、自分の人生は自分で切り開いて行くしかないんだ、自分で何とかするしかないんだ、と思うようになりました。しかしながら、と同時に生きていくうえでの指針も求めていて、それがあるならばそれが何かを知りたいと思っていました。大きな事、小さな事に関わらず困難にぶつかった時は、どこに立ち返ればいいのか、何を基盤に自分の考え方や心構えを戒めていったらいいのか、いったい何を中心に生きていったらいいのだろう、何かに対して思い煩った時いったい何が私をガイドしリードしアドバイスしてくれるのだろう、それは仏教の教え?いいえ違う、仏教では私が求めているものは何ひとつ教えてくれませんでした。いったいそれ自体を誰に相談したら良いのだろう、それ自体もわかりませんでした。そういう真剣な話について相談できるような人もいなく、お友達や親に言っても、結局は「世の中ってそういうものなんじゃないの?深く考えすぎだよ、もっと気軽に考えたら?」といったような答えしか返ってこなく、でも人からのどんなアドバイスを聞いても決して腑に落ちない思いが私を悩ませ、私の心はさらに深く深くいろいろな事を考えるようになっていきました。ただ、いくら考えても同じで堂々巡り、答えは出ませんでした。この私の心の中の蛇のようにとぐろを巻いている汚い思い、妬ましい心、人にやさしく出来ない思い、これらの思いはいったいどこからやってきてどうやって処理したら良いのだろう、でも人前ではそんな心は見せずにニコニコし人と接している。そんな自分が嫌でたまりませんでした。私は自分で自分の事をずっと「偽善者」だと思っていました。本当にそうなのです。

そして1999年8月、原因不明の腹痛が続き、病院での検査の結果、大腸潰瘍とわかりそのまま入院しました。その時その同じ病室である女性の方との出会いによって、この世では占いと呼ばれるものに非常に興味を持つようになりました。姓名判断から始まり、風水学、陰陽道、方位学、四柱推命、奇問遁甲に至るまで、思い込みの激しい私は、そういった類の本を読み漁り、またインターネットを調べまくって勉強に勉強を重ねました。 それまで科学的なものしか信じなかった、非科学的な目に見えないものは一切意味がないと思っていた私は、今度は反対に、目に見えないものに大変興味を持つようになり、この世の中には何かがある、何か目に見えない力が働いている。とにかく、いったいこの世の中に関係している一番大きなものはいったい何なのだろう、いったい何がこの世の中の中心で何がこの世の中を司っているのだろう、それが知りたい、と思い、探すようになりました。また同時に精神世界に引かれ、目に見えない世界の精神的な事にも興味をもちはじめ、目に見える三次元の世界の他に、四次元、さらに五次元の世界は精神世界なんじゃないかと思い始めました。だから今度は心の持ち方や潜在意識や祈りなどで何かが変わっていくような気がし始めました。 しかし、いくら本を読んでもいくらどんなもので調べても、ここでも何一つ答えは出ませんでした。(2ページへ続く)

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