関谷都さん(OL)
いつ、どのようにわたしはイエスを自分の救い主として受け入れたのか?
そこからは私はどのようにして自分を守るかしか考えていませんでした。聞く気もないのに無理やり連れて行かれたようなものです。その人からのメッセージがいかに入らないようにするために、自分で自分の心を何十にもプロテクトして行ったのです。
実際にメッセージをする場所にに着いた時、とりあえずここで1時間、1時間だけ我慢すればいいのよね、と私は自分に言い聞かせました。一番はじっこに座り、帽子をかぶったまま脱がずに、とにかく失礼な態度をとることで、私はここには来たくなかったんだ、あなたなんかのメッセージなんか初めから聞く気なんてないんだ、敵に顔を見せるべからず、と言わんばかりに、その事をそのメッセンジャーに分からせようとしていました。メッセンジャーが腰を深げにイソイソ入ってきて、私はその敵(?)を見つけた瞬間、こいつかぁ、大阪から来たとかいう、メッセージを面白おかしく伝えるとかいう売りの先生は。本当に面白い事の1つも言わなかったら承知しないから。本当に笑わせてくれるんでしょうねぇ?いやいやながら、この私がここまで来たんだから、さ~ぁ、とくと拝見しようじゃないよ。と思い切り高飛車な心で、帽子を深くかぶり顎をあげ下目使いでおまけに偉そうに腕組みをして、さぁ、どっからでもかかって来なさい、とばかりに私の心はものすごい構えていました。
そしてメッセージが始まりました。心の中はもう何をしても何を言われてもしばらくはそっぽを向いていました。しかし、そこからです。挽回劇が始まったのは・・・。
とにかく最初面白かったンです。そこからはもうお話の面白さを我慢することが出来なくなって、まるで坂を転げ落ちるかのように先生のお話に引き込まれていきました。もちろん、最初はその面白さがきっけけではありましたが、その後のその方のお話の内容の濃さとそのすばらしさに驚くばかりだったのです。何だろう?何なんだろうこの人は?どうしてこんなに知識にあふれ色々な事を知っているのだろう?いったいこの人は何者なんだろう?どうしてこんなにどの世界においても秀でている知識を持っているんだろう?そして私はどうしてこんなにも惹き付けられてしまうんだろう?この人は私達に何を伝えようとしているんだろう?それが知りたい。どうしても知りたい。私の霊は突き動かされ、言葉で表すことの出来ないものに何か取り付かれたような、自分の一番大事な魂の部分をごっそり根こそぎもぎ取られたようなそんな感覚を覚えました。そして、この人だったら私の質問に答えられるかもしれない、答えてくれるかもしれない、この人ともっと話がしたい!もっとこの人の話が聴きたい!と強く思いました。そして、メッセージが終わった時には、もっと色々な事、いいえ、全ての事を学びたい!そしてこうまで思いました。「私この人の弟子になりたい。どうか、私を弟子にして頂けないでしょうか?どうか、あなたの弟子にして下さい!」と心の中でひざまずき手をついて頭を下げて服従していたのです。これは後でハワイのほかの牧師さんに聞いたことなのですが、そのエピソードを話すと、「それはキリストの弟子になるということだよ」と、いわれました。
自分が信じられませんでした。ついさっきまで絶対に聴くもんか、と抵抗し嫌だ嫌だと耳をふさぎ目を覆おうしていた私が、まるで魔法でもかかったのかのようにその方の放つ何かに惹き付けられ、捕らえられ、囚われてしまったのです。そう、私は一瞬のうちに変えられました。今までずっと探していたパズルのピースが見つかったかのように、自分の気持ちを表すのに一番ぴったりとした最適な言葉が見つかったかのように、またずーっと長い間探していた大事なものが見つかったかのように、何かビビッと来るものを感ぜずにはいられませんでした。
でも、なぜそうなのかは分かりませんでした。その1時間足らずのメッセージや話がちょっと面白かったからといって会った事もない知らない人の話でまさか自分がこの様な思いを与えられるとは考えもしませんでした。だって今まで、私の質問に答えてくれる人なんていないんだ、誰の話を聴いたって、どんな人と話をしたってきっとどうせ同じなんだ、
私にはChristianityは一生理解出来ないのかもしれない、とあきらめてもう聴きたくないと思っていたところへ、突然彗星のごとく現れ、敵対する気持ちさえ持っていた私を一瞬のうちにその前にひざまずかせたのです。私が今まで抱いてきた疑問に対して一番近い答えを与えて下さり、そして私のどんな質問に対しても全て真正面から真剣に受け止め、私の質問に120%答えようとして下さる、そんな方がいたんだという事が、そういう方に出会えたという事が、もう私は嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。この気持ちをどのように表したら良いのかわかりませんでした。ずっと開かなかった金庫の回しネジの数字がピッタリと合ってまるでその大事な箱が開いたかのような、ずっと長い間視界がさえぎられ先が見えなかった目の前がパァーッと一気に晴れたかのような、自分の複雑な心の型が見つかったかのような、・・・何と言ったらいいンでしょうか?そう、とにかくピッタリとアンテナが合ったという感じです。探していたピッタリの電波が受信出来たという感じでしょうか?自分の中に蒔かれている種に一番育ちやすい栄養を与えられたとでも言うのでしょうか?また、何か自分では触れられない、コントロール出来ない魂の核の部分に触れられわしづかみにされたようなそんな感覚でした。それから少なくとも2週間くらいはその嬉しい興奮が治まらなかった程でした。
考えては楽しくなり、思い起こしては嬉しくなり、自分の悩みも全て解決されたかのような錯覚におちいるほど嬉しさに満たされてうっとりし、何か私の魂が喜び踊っていたようでした。本当に不思議でした。これが、私が神様から触れられた一番初めの時だったのです。
(5ページへ続く)
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