聖書通読箇所:創32:1-33:17、詩1-3篇、マタ18:15-35
わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。 ゼカリヤ12:10
主を仰ぎ見るとは、注意して主に目を向けることを意味しています。つまり、確信と信仰を持って主を仰ぎ見る、というものです。ちょうど子どもが自分の必要を満たしてもらうために、親を見つめるようなものです。イスラエルは、来るべき日に再び主を仰ぎ見るようになります。イスラエルの民が、「主は自分たちが突き刺したお方であった」と認識するそのとき、彼らにとってなんという瞬間になるでしょう!彼らは、主のために嘆き、 主は彼らを慰められるのです。しかし、その日が来る前に私たちの順番が来ます。私たちは、正しい者とされて、主の御顔を仰ぎ見ます。そして、主に似せられて目覚めるとき、私たちは満足するのです。 -RobertE.Surgenor
ああ、なんと幸いな日でしょう!私たちがあなたを見、羨望の眼差しがあ なたに釘づけにされるその日は。ああ、あなたこそ、私たちの光、いのち、 地の下にあるすべて、天の上にあるすべてなるお方です。 -J.Deck