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#948 客観的事実と信仰

おはようございます。三綿直人です。

先日「白雪姫とキノコの秘密」という記事を読みました。生物学者が書いた記事です。
一般的にはディズニー映画の白雪姫が知られていますが、元々はドイツの古い民話だそうです。
雪のように白い肌の女の子、ということで、白雪姫と名付けられますが、彼女が成長して七歳になった時、それまで世界一美しい女性は「王妃」と答えていた魔法の鏡が「白雪姫」と答えるようになったことで、王妃は嫉妬し、白雪姫を殺そうといろんな方法を企てるんですね。
すべて失敗するんですが、とうとうお婆さんに化けた王妃本人から、毒リンゴを渡された白雪姫は、それを食べてしまい、息絶えてしまいます。
ところが最後、死んだままの白雪姫でもよい、と棺桶ごと引き取った王子との出会いによって、息を吹き返すという話ですね。
さて、キノコはどこに登場するのでしょう。白雪姫が王妃から逃れて、七人の小人たちと共同生活する森の中に登場するんです。
このキノコはベニテングダケというキノコだそうで深い紅色のかさに、白色の斑点がある美しいキノコです。
このキノコは食べると、死には至りませんが、幻覚症状を引き起こす毒キノコだそうで、今はドラッグとして使用する人もいるっていうんですね。
このキノコを白雪姫の話の中に描くことによって、この話の作者はこのお話がおとぎ話であること、幻覚であること、現実を伝えているわけではない、ということを暗に語っているのだろう、というんですね。
一つの見方として、おもしろいな、なるほどな、と思いました。

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聖書の最も大切なメッセージ

さて、一部の方々は聖書の話もおとぎ話、神話の類と思っている方もおられるんではないでしょうか。
クリスチャンというのはおとぎ話を信じる幸せな人々で、死んで天国に行くなんて現実的でない、と考えている人も少なくありません。
しかし、聖書は客観的事実に基づいた信仰について私たちに教えている書物であることを、知っていただきたく思うのです。
今日は聖書が最も大切なこととして私たちに伝えているメッセージの箇所をお開きして考えてみましょう。
こんな聖書の箇所があります。

私はあなたがたに福音を伝えましょう。私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また葬られたこと、聖書に従って三日目によみがえられたことです。

今から二千年前にパウロというクリスチャンがこの最も大切なメッセージを伝えたんですね。ここから客観的事実と信仰について考えてみます。

キリストが代わりに死なれた事実

まず、一つ目は、キリストは死なれたこととありましたね。
これは歴史的事実、客観的事実です。キリストがローマによる十字架刑によって死んだことは歴史家なら誰もが認めるところです。
イエス・キリストの十字架による死は、おとぎ話でもなく神話でもありません。しかし、これはただの事実であって、実はこれを認めても、クリスチャンというわけではないんですね。
大事なポイントはキリストの十字架の死は私の罪のために死なれた、という部分です。
キリストが死なれたことは事実です。その死は私の罪の身代わりであったと信じることが、信仰なんです。あなたはいかがですか。
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りもありませんでした。
聖書は、罪の故に人は死ぬと語っています。しかしキリストには罪がありません。
ということは、キリストは死なないというのが論理であるはずなのに、キリストは十字架で死なれたんです。キリストは十字架で死なれた、それはあなたの罪を身代わりに引き受けたからだ、と教えているんです。
私はキリストの十字架の死、という事実とそれは自分の罪の身代わりの死、という意味を信じ受け入れたんです。これを信仰というんです。

キリストの復活による保証

二つ目のポイントは、三日目によみがえられたこと、という部分です。
キリストが復活されたという事実を認めるのは、考えが分かれるところだと思います。
そんなことあるわけないと考える人もいれば、復活は事実だと考える歴史学者もおられます。
さて十字架と同じように、客観的事実ということで考えてみましょう。
キリストの十字架の死という事実そのものを認めてもクリスチャンでないように、キリストが復活されたという事実を認めてもクリスチャンではありません。
聖書はキリストの復活を通して、人は死んで終わりではないこと、死後に神のさばきがあること、そしてキリストの十字架が自分の罪の身代わりであると信じる人には復活を通してその罪がすべて赦されたという保証であると意味を教えているんです。
キリストの復活はあなたの罪の赦しの保証だ、と聖書は意味を語っています。
あなたの過去にどんな罪があろうと、今、罪責感に苦しんでいようと、将来どのような失敗をすることがあろうと、あなたのすべての罪はキリストの復活により完全に赦されているという保証、これが信仰なんです。

聖書が語る死後

あなたはこれを信じるでしょうか。天国への希望があるという、その豊かな希望のメッセージが最も大切なこととしてあなたがたに伝えたという、聖書の福音なのです。
あなたもこの聖書の約束を信じませんか。
私たちのまわりには、死後どうなるか、という考えがあふれています。エンマ大王、三途の川、針の山での苦しみ等々。
でも大きく分けると、主に三つにまとめることができると思います。
一つ目は、死んだらすべて終わりという考えです。二つ目は、生まれ変わるという考えです。そして三つ目が死後の世界があるという考えです。
聖書は死後、神の祝福の世界である天国と神のいない世界の地獄があるというふうに教えています。

信仰の根拠

最後にみなさんとともに、事実と信仰ということで考えてみましょう。
死んで終わりということが事実だと、誰が言うことできるでしょう。
生まれ変わるというのが事実だ、と誰も言うことができない、と思います。天国と地獄があるというのが事実だということも、誰も断定できません。
ということは、死んだらどうなるのかということは、誰も客観的にはわからないんですね。ということは、これは信仰の分野です。
私は、根拠なき信仰は危ういと思っています。すべてを知ることができない時、頼りになるのは証言です。
誰がそれを言っているのか。その語ったいる人は信頼できるのか、ということが重要だと思いませんか。
死んだら終わりという考えは、誰が言い始めたか、ご存じですか。生まれ変わるというのは誰が言い始めたか、ご存じですか。
お釈迦さんではありません。釈迦は生きているということがわからないのに、死んだ後どうなるか私にはわからない、と言ったという記録が残っているそうです。
死後の世界がある、天国と地獄がある、というのは誰が語ったでしょう。イエス・キリストです。

キリストの約束を信じる

私はイエス・キリストを信頼する故に、死後神のさばきがあると信じており、イエス・キリストの十字架と復活を信じる者は罪赦され、祝福に与かるというキリストの約束を信じているんです。
私の信仰の根拠は、死んで復活されたイエス・キリストです。
私たちは自分の罪、自分の醜さを認めることが難しいと思います。
しかし、キリストは十字架で死なれ、復活されました。その意味は私の罪の身代わりに死なれ、私の罪が赦されているという保証だと聖書は教えているんです。
ですから、安心して、今日生きておられるキリストに「ありがとうございます、私の罪が赦されていることを感謝します。」ということができるのです。
一生涯、死の恐怖に繋がれている奴隷状態から、あなたを解放するために、十字架で死なれ、復活されたキリスト、この方を信じてください。心からお勧めします。

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