聖書通読箇所:Ⅰサム9:15-10:27、イザ50章、Ⅱコリ11章
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。イザヤ53:4
見よ。ひとりの人がいる。その名は若枝。(中略)彼は尊厳を帯び・・・(後略)。ゼカリヤ6:12,13
罪人として、私たちはゴルゴダを振り返り、私たちの救い主が、「私たちの病を負い、痛みを担ってくださる」姿を見ます。「負う」という言葉は、「持ち上げて、自分自身の上に置く」と訳されても良いでしょう。私たちがいるところにまでかがんでくださり、私たちの罪の重荷を持ち上げて、自分自身に置いてくださったのです。偉大な預言者ゼカリヤは、喜んで語りました。私たちの病を負い、痛みをになってくださったお方が、栄光を帯びる方であることを。私たちは、その日を待つ者として、今日、主に栄光を帰しましょう。-ArnotP.McIntee
打たれ、殴られ、苦しめられ、木の上で死んでいかれる主を見なさい。この方こそキリスト、人から拒まれたお方。そうだ、私のたましいよ。この方こそキリスト、この方こそキリストなのだ! -W.Kelly