聖書通読箇所:民 35:9-36:13、箴 31 章、ルカ 5:17-39
「私の敵。私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がり、やみの中にすわっていても、主が私の光であるからだ。」 ミカ 7:8
神の子どもが時にやみの中に座ることは避けられないことです。やみの中に座ることは決して容易なことではありません。簡単には変えることのできない困難な環境を、ただ力なく受け入れることを意味しているからです。しかしながら、やみの中に主がともにいてくださることを知ることは素晴らしいことです。その事実を知ると、私たちはやみの中でも走り回ることなく、むしろ忍耐をもって座り、主を待ち望むことができるのです。主がともにいてくださることが慰めであり、確信であり、私たちの光です。初めに主は私たちを罪のやみから福音の栄光の中に招き入れてくださいました。そして今でも主は私たちとともにいてくださり、漆黒のやみの状況から光と喜びの歩みへと引き入れてくださるのです。
-Roy Hill
主はやみの中で語られました。あなたが悲しみに沈黙しているときに語られました。そのあわれみはあまりに深く優しいので、あなたの心は解放さ
れるのです。 -F.H.Havergal