聖書通読箇所:レビ 25 章、詩 139 篇、マコ 10:1-31
「そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」」イザヤ 6:5
聖書を研究する人たちの一つの興味深いテーマは、人間の堕落です。研究者たちは、知的に、また客観的に様々な神学的理論を打ち立てることができるでしょう。しかし自分の自己中心的な心や悪しき心をさらけ出し、聖なる神の目の前にありのままの姿で立つというのは学問とは全く別の問題です。イザヤは、自分の罪に打ちひしがれて、神の前に立ちました。ただ唯一無限の恵みをお持ちである主のみが罪人を赦し、きよめることがおできになることを彼は経験したのです。 -Donald Norbie
何と驚くばかりの恵みでしょう!私のような汚れたものを救ったその音色は何と麗しいのでしょう。かつては失われていましたが、今や見つけ出されました。かつては盲目でしたが、しかし今は見えるのです。
-John Newton