聖書通読箇所:Ⅰサム25章、イザ63:15-64:12、ロマ7:7-25
今、私はあなたがたのところに行こうとして、三度目の用意ができています。しかし、あなたがたに負担はかけません。私が求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だからです。子は親のためにたくわえる必要はなく、親が子のためにたくわえるべきです。Ⅱコリント12:14
車のバンパーに貼るステッカーで、このようなものを見たことがあります。「私は子どもへの遺産を湯水のように使っています」。これは冗談のつもりかも知れませんが、それにしても、社会が狂ったかのように自己中心を助長することに意識を向けているというのは、ただならぬことです。子どもたちを養うときには、私たちは喜んで犠牲を払います。しかし、最も良いのは、膝をかがめて子どもたちのために、天に宝を貯えることです。私の天の父は、今日、私が子どもたちのために祈るのを聞いたでしょうか?神は、私たちが自分の子どもたちについて、ご自分と語り合うことを愛し、大事にしておられます。それは、神がご自分の御子について、私たちに話しかけるのを愛し、大事にしておられるのと同じです。親しい祈りは、この二つの手助けとなるのです。 -RickMorse
お父さんは、膝をかがめるとき、空想話をしているのではありません。私が確かに知っているのは、お父さんが私のために祈ってくれていることです。 -unknown