聖書通読箇所:Ⅰサム3章、イザ46章、Ⅱコリ6:11-7:16
年が改まり、王たちが出陣するころ(中略)ダビデはエルサレムにとどまっていた。ある夕暮れ時、ダビデは床から起き上がり、王宮の屋上を歩いていると、ひとりの女が、からだを洗っているのが屋上から見えた。その女は非常に美しかった。Ⅱサムエル11:1-2
戦いには行かず、ダビデは眠っていました。バテシェバも際どい生き方でした。というのも、慎みある女性が、屋上にいる誰かに、自分自身の裸を晒け出すようなことを、果たしてするでしょうか。バテシェバの夫であるウリヤは、もっと自分の妻に義務を与えることを考えるべきでした(Ⅱサム11:9、Ⅰコリ7:3)。私たちは、ここから3つのことを学ぶことができます。主の働きやそれに伴う事柄で占められているのは、最善であるということ。自分自身がどのように振舞うかについて、注意を払うのは、最善であるということ。そして、他の者にその人たちが成すべき良いことを与えてあげるのは、最善であるということです。-TomSteere
ああ、あなたのように愛するこころを私たちに与えてください。あなたのように、悲しむこころを与えてください。私たちが受けるすべての不正よりも、他の者の罪のためにずっと悲しむこころを与えてください。-E.Denny