聖書通読箇所:士19章、イザ37:8-38:1、Ⅰコリ15:1-34
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。(中略) しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。イザヤ53:4、6
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。イザヤ53:5
「彼」とはイエス・キリストです。この箇所で、キリストは二つのものを負ってくださったと記されています。一つは病と痛みです。人生を歩んでいて、涙しない人はいません。そして自分の痛みをそのまま理解してくれる人もいないのです。しかしキリストはあなたの痛んでいるその通りを知り、負ってくださるのです。二つ目は咎、つまり罪です。聖書は「すべての人は、罪を犯した」と語ります。罪のない人はいません。この罪こそは、死という人類最大の痛みの原因です。キリストはあなたの罪の結果だけを負われたのではなく、原因そのものを十字架で負ってくださいました。痛みのいやしも、罪赦されるいやしも、キリストにあるのです。あなたはこのお方をご存知ですか?-K.M
見よ われはなれの罪をばにないて 十字架にかかりし イエスなりイエスなり-F.Crosby