関谷都さん(OL)
主イエス・キリストを受け入れる以前、私はどのような者であったか?
聖書に出会う前の私はキリスト教と聞いても、自分とは無縁の物だと思っていました。むしろキリスト教と聞くと何か非常に宗教めいていて、それらの人々と関わることやそれらの物と関係することが非常に嫌でした。また、あまり真剣に考えたこともありませんでしたが、科学的なものしか信じておらず、非科学的な分野だと思われる神という存在はいないと思っていました。いないと思っていたというよりも、「神様」というのは自分の心の中に住む良い心、「良心」だと思っていました。戒める心の良心が自分の中の神という位置づけでした。まさか神という目には見えない方が、私達人間と同じように人格を持つ存在がいるなどとは考えられませんでした。また、自然界自体を神だと思っていました。自然界は見れば見るほど知れば知るほど信じられない程に全てにおいて見事に調和が取れていてすばらしく、不思議でたまりませんでした。しかし、それら万物を創造された方、創造主がおられるなどというところまでは知識がなく知恵が及びませんでした。だから自然そのものが神だとも思っていました。
しかしながら、と同時に生きていくうえでの指針も求めていて、それがあるならばそれが何かを知りたいと思っていました。風水学、方位学を始め、占いに興味を持ち勉強したこともありました。それまで科学的なものしか信じなかった私は、反対に目に見えないものに興味を持つようになりました。
いつ、どのようにわたしはイエスを自分の救い主として受け入れたのか?
そんな時、私は海外でキリスト教関係の学校でインターンシップとして働くことになりました。2003年5月のことでした。クリスチャンの先生方と働く中である日「キリスト教っていったいどんな宗教なんですか?」という質問をぶつけてみました。するとその先生は私に、英語と日本語の対訳の新約聖書をくれました。その時から少しずつ聖書を読むようになりました。それが聖書に触れた第一歩でした。読み進めてはいったものの、読めば読むほど意味が分からないことばかりでした。とくに、キリストについては「いったいこの人は何者なんだろう?」「いったいどうして崇拝されているのだろう?」「なんでこんなふうに偉そうに物を言うんだろう?」と思いました。また、キリスト教が排他的な宗教にも思えました。私には、自分勝手で無理難題ばかりを私たちに押し付けているようにしか聞こえませんでした。また、色々な疑問もわいてきました。この聖書という書物が、私が幼い頃から抱いてきた罪意識、周りの人や家族に持つ心の中は違うのに人には平気でお世辞を言う、そのような汚いものにまでも解決方法があるのだろうか、と思いました。
そんな頃在る方から「今度日本の大阪からすごい面白い伝道者が来るンだけど、聴きに行ってみない?」と誘われました。私はためらいながらも断りきれずに出かけました。
しかし、伝道者のメッセージを聞きながら、その話にどんどん引き込まれていきました。「この人は私達に何を伝えようとしているんだろう?それが知りたい。」メッセージが終わった時には、「私この人の弟子になりたい。」と心の中で思いました。何かビビッと来るものを感ぜずにはいられませんでした。もう私は嬉しくて何か自分では触れられない、コントロール出来ない魂の核の部分に触れられわしづかみにされたようなそんな感覚でした。
本当に不思議でした。
引き続き、自分なりに聖書を読んだりもしていましたが、やはり意味が分からないことばかりで、変な宗教団体に私は入ろうとしてしまっているんじゃないか、と不安になりました。しかし「聖書はいわゆる宗教と呼ばれているものの中のひとつでない」という事が分かりました。もっと知りたいと惹きつけられながらも、どこかでこの排他的に感じるものを私は一生受け入れる事は出来ないだろうな、とも思っていました。
そして、ハワイで約1年半を過ごしました。聖書を読み祈りをし、教会へも通うようになり、神様に信頼するようにもなりました。
その頃、生活は公私共に全てが順調でしたが、2004年9月ビザの申請のトラブルにより私はすぐにでも日本へ帰らなければならなくなりました。これは自分にとって青天の霹靂でした。色々手を尽くしましたが、結局しぶしぶ日本へ一時帰国することになりました。
ところが、日本で再申請したところ、アメリカ大使館ではそれを認めてもらえず、今後アメリカには二度といけません。との答えが返ってきました。日本への一ヶ月分の旅支度しかしてきていないのに、ハワイでのアパートも着る物も身の回りの物も全てそのまま残してきてしまったのに。私は一体これからどうすればよいのだろう・・・。弁護士さんにも相談しましたが、だめでした。その時「あ、主が閉ざされたんだ。ここまでやっても、どうしても開かれない道、これは主が無理やり私を日本に連れ戻し、ここに滞在せよと言っているのだ」と直感しました。その時は神様を恨みました。どうしたらたらよいのか、行く先に光は見えませんでした。・・・・・。
そんな中ハワイでお会いしたメッセンジャーのT氏がきっかけで経堂集会に足を運ぶことになりました。私はこれ、という確信を求めていました。周りの人々にはもう救われている、これ以上あなたが望むようなドラマチックなことなんて何も起こらない、と言われた時、反対に私は「いいえ神様はそんなお方ではない、必ず私に私の求める確信を下さる!」という確信を持ちました。
2005年8月、私は菅平のヘルモン山荘のキャンプ行きました。メッセンジャーはハワイで初めてメッセージを聞いたT氏でした。メッセージのタイトルは「キリストの十字架」でした。メッセージが終わった時、私の顔は涙でぐちゃぐちゃになっていました。そして最後のお祈りをした時、私は神様の前にひざまずいていました。ああ。神様ごめんなさい。私、今までなぜ神様は私に確信を与えてくださらないんだろう、いったいいつになったらそれが頂けるんだろうとずっと思っていました。でも神様はもうずっとずっと前から既に私にそれを与えて下さっていたんですね。受け取らなかったのは自分の方だったんだっ・・・っと気が付いたのです。
私は神様が私に入ってきてくれるのを待っているつもりでいましたが、待っていてくれたのは神様だったのですね。私はあなたが、「受け取りなさい」と言っているメッセージにずっと気づかず、拒んでいたのはこの私の方でした。私が苦しんでいる間、神様あなたも私と一緒に、いいえ私以上に共に苦しんでくださっていた事に気が付きました。
メッセージの中の1つのお話で、T氏の大事な湯のみを割ってしまわれたお嬢さんの
お話がありました。許しているって言っているのに受け入れない、怒ってないって言って
いるのに受け入れない、ようは自分の言葉を全然信用していない、お父さんがこんなに
言っているのにわからないのか、とその事を納得出来るまで私も何ともいえない深ーい
哀しみがあった、というお話がありました。そして、お嬢さんが「お父さん、ごめんなさい・・。これで許して下さい」と言ってたった5年生の小さな女の子がその代償としてお年玉で貯めたお金を持ってきた時、親として一番さびしかった瞬間だった、・・・・・と。
私はその、お金を持ってきた時親として一番さびしかった瞬間だった、というくだりを聞いた時、胸の奥底の急所の部分を槍で思い切りつき抜かれたかのようにズッキーンと鋭く痛みました。まるでヘブル4:12「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、魂と霊、間接と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます」とあるように、何かで心を刺し通されたような感覚でした。
神様は願っていた通りに私にあなたへのはっきりとした確信を与えて下さいました。救われた方が嬉しくて嬉しくてどうしようもなくなるという話をよく聞きますが、本当にその気持ちがよく分かりました。
こうして私は2005年8月17日、T氏と共に祈りその祈りの中で、ハッキリと信仰告白をすることが出来ました。この時はイエスキリストの十字架に対してはまだ感情も含めて十分に理解してはいませんでしたが、罪ゆえにイエス様が「私のために十字架上で死んでくださったんだ」ということがだんだんとわかってきました。この日を境に、私は自分がクリスチャンであることが誇らしくて、本当に世界中の人に自分はクリスチャンなんだ、という事を言って回りたいような気分でした。
主イエス・キリストを信じ受け入れてから、私の生活はどのように変えられたか?
信じたらバプテスマとなりますが、私はバプテスマは自分が信仰をもつきっかけとなったハワイで受けたい、という思いが強く、捨てることが出来ませんでした。そして、初め
経堂集会の全てが気に入りませんでした。ハワイでの教会と比べていたのでした。中でも一番嫌だったのは、自分ではハワイにいる時から信仰を持っているつもりでいましたので、自分の信仰を集会の人々から子ども扱いされることでした。
バプテスマを受けることに抵抗はなく、むしろ早く受けたいと思っていましたが、経堂集会でだけは受けたくない、と頑に思っていました。
ある時インターネットで調べてはいくつかの教会をジプシーの様に転々と回っていた事もありました。しかし、主が私を導いて下さったのは経堂集会だとわかっていました。アブラハムの信仰「アブラハムはどこへいくのかもわからずただ主を信じた」ことを思い起こしたとき、もう一度経堂の集会へ戻ろうと思いました。
私が最終的にバプテスマを受けようと決心したのは、ある姉妹の死でした。仲の良い姉妹から、「彼女は生きている間、主の思うようには用いられなかったかもしれない、また自分の思うように事が運ばなかったかもしれない、でも今はその全てから解放されてイエス様の元にいるんだよ」と。私はその言葉を聴いた時、私はこの世で生きている間に、ハッキリと主に用いられたい、用いられる器になりたい、と思いました。そしてひとつの御言葉が与えられました。マタイ6:33 「だから神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすればそれに加えてこれらのものは全て与えられます。」・・・
私は自分の思いを全て捨てて主に従う決心をしました。
そして、その決心を集会の責任者に伝えました。経堂集会で始まった求道者会にも抵抗も感じましたが、主が改めて私にマタイ6:33節、「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい」を示して下さいました。「あなたは私に従うと決断したのではなかったのですか?あの思いは違っていたのですか?あなたはバプテスマを決めるまでに色々な試練や苦労があったでしょう。でも私は決してあなたをあきらめなかった。あなたがバプテスマを決断してくれた時とても嬉しかった。私はずっと忍耐強くあなたの決断を待っていましたよ。今度はあなたが、私が水と霊によって授けるバプテスマを待つ番ですよ。学びを一からやるという事をあなたに課したのは責任者でも長老で兄弟姉妹でもなく、この主なる私だ。私に従いなさい。他の人、物、事、は関係ない。ただ私に従いなさい。」・・・。そのような主の声が、主の思いが私にひしひしと伝わってきました。
そしてある時、神様、ではなく、「イエス様・・・」と祈りの中で呼びかけた時に、イエスキリストの十字架は、紛れもなく私のためのものだったんだ、と言うことがわかりました。
ここまで私をあきらめずに忍耐強く待ち続けてくださった主なるキリスト、イエス様。私を導いて下さって感謝します。また、私のような愛しにくい者を主にあって見守り続けて下さった経堂の兄弟姉妹。今日この日を迎えられる事を、皆さんの前で証しし、今日この経堂集会に加えられる事を本当に心から感謝いたします。
これから、私自身、主のために何が出来るのかわかりませんが、どうか主が、あなたの僕として用いられるように私を導きさらに整えてくださいますよう心から願います。
これで、私、関谷都の証しを終わられて頂きます。ありがとうございました。
経堂キリスト集会 〒156-0052 東京都世田谷区経堂5-29-12 電話:03-3427-5447
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