聖書通読箇所:Ⅰ列15:1-32、エレ26章、コロ3:5-4:1
私は聞き、私のはらわたはわななき、私のくちびるはその音のために震える。腐れは私の骨のうちに入り、私の足もとはぐらつく。私たちを攻める民に襲いかかる悩みの日を、私は静かに待とう。ハバクク3:16
この預言者は、福音の光が彼を捕らえたときの罪人の経験を、適切に書き表しています。よく物事を見極める目で見ると、私たちが大切にしてきた罪に関することが、その本当の姿で表れ、逆に良い部分は、自分たちの目には汚れた沼へと変わるのです。これが、神の方法です。つまり、神は、私たちを自己の真実と向き合わせられるのです。その後で、神ご自身の救いの真理をもって、私たちを慰めてくださるのです。福音が与える祝福の安息とは、私たちの罪が、完全な真理のうちに処分されたことを知ることです。この現実をひっ
くり返す問題はありません。 -RickMorse
罪意識と心配という重荷の下で、多くのたましいが嘆いています。誰が永遠のいのちを受け入れて、主の喜びのうちに分かち合うでしょう?-W.Leslie