聖書通読箇所:創19章、ヨブ22章、マタ10:24-11:1
もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられ た私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。 ローマ5:10-11
私たちの人生、その毎日が神のあわれみに浸っていることは、間違いありません。ご自 身の子たちが、この地上の歩みにおいて、石や根などにつまずくとき、主はその者たちを 立たせ、もと歩んできた道にもう一度戻してくださるのです。感謝なことに、私たちの救 いのどの側面も、私たちの実力にかかっているものはありません。むしろ、主がすでに成してくださった事柄にかかっています。神がご自分の子たちをご覧になるとき、その罪を見ておられるのではありません、主イエスの血を見ておられるのです。私たちの一日一日が、主のあわれみにふさわしく歩むことを求めるものでありますように。 -JohnMarkBjorlie
私には、救い主がおられます。その方は、私のために死んでくださいました。 カルバリの木の上でひとり、激しい苦しみを受けて死んでくださいました。 私は、そのような神の愛にふさわしくはありません。ただ神のあわれみが、イエスを私のものとしてくださるのです。 -R.H.