M.Mさん(18歳、高校3年生)

僕は両親がクリスチャンである、所謂「クリスチャン・ホーム」の生まれで、 物心が付く前からこの教会に通い始め、物心が付いた頃には教会の2階に 住んでいました。幼稚園から小学校の低学年くらいの時は、日曜日がすごく 楽しみで、日曜日になるとよくテンションが上がっていました。しかしそれは、 「礼拝がしたくてたまらない」とか、「主を賛美したくてたまらない」とか信仰心 が強い子供だったわけではなくて、ただ単に一週間に一度しか会えない 友達と遊べるからという理由でした。

小学校も高学年になって来ると、一緒に遊んでいた友達も中学生になったり、引っ越したりして一緒に遊ぶ時間が少なくなってしまいました。そのために教会に行く理由の大半を失い、逆に日曜日がだるくなって来ました。そして、それとほぼ同時期に再臨に対する恐怖が湧いて来ました。もともと小学校に上がったくらいから再臨への恐れはあったのですが、あまり現実感がなかったために無意識の内に黙殺されていたように思います。だから、少し大きくなり、再臨への現実感が湧いて来たために恐怖心が出て来たのだと今は考えています。

それからは、事ある毎に再臨と結び付けて考え、家に帰って誰もいないと取り残されたのではないかとビクビクし、夜寝る前には「明日は来ないようにしてください」という祈りをするようになりました。そしてそのまま高校生になり、「レフトビハインド」という一冊の本を読む機会が与えられました。 この本は「取り残される」という意味で、クリスチャンが天に引き挙げられた後に、取り残された人々のことを描いたものでした。その本が妙にリアルで、神学校に通っていた人がみんなでサッカーをしていたら、自分以外は全員、引き挙げられて、気が狂って自殺した人とか、神を信じていると言いつつ、そうでなかったために取り残された牧師とかが書かれていて、僕は相当なダメージを負わされました。

そんなある日、親から教会で20分ぐらいのスライドショーがあるから、見に来ないかと誘われました。でも僕は、あんまり気乗りしなかったので断りました。それから僕は自宅でゴロゴロしていたのですが、20分と言ったはずが一時間経っても誰も帰って来ませんでした。しかしこの程度のことなら毎度のことなので、あまり気に留めていませんでしたが、二時間、さらに三時間経っても何の音沙汰もありませんでした。 そしてついに、時刻は夜の12時を越え、流石に不審に思ったので、教会の方へと足を運びました。すると2階には誰もいなく、静けさが漂っていました。妙に思った僕は、足早に1階へと下りて行きました。すると、電気は点いているのですが、凄く静かで誰もいないのです。焦った僕は、下駄箱を確認しました。そうしたら靴は大量にあるのです。それを見たと同時に、僕の脳裏には、「再臨」の二文字が浮かび上がって来ました。そして、極度の恐怖と緊張感に駆られました。 そして、「もし3階に行って誰もいなかったらどうしよう...」という重圧に耐えながら、3階への階段を上がり始めました。しかし、その足取りは重く、一段上がる毎に「どーか再臨でないように、本当にお願いします」と祈りました。そして 3階を覗いたら...いたんですけどね、その時の安堵感は今までになかったし、神様に凄く感謝しました。

ところで、家が家だったので、小さい時からキリスト教ネタを振られることがありました。小学校の時は喧嘩した相手から、「教会の息子のくせに」とか言われたり、中学校の時は、神話オタクみたいな奴から聞いたこともないような天使や生物のことを聞かれたり、高校になると、キリスト教の歴史や分派について聞かれたりしました。ぶっちゃけた話、全部どう答えていいか分かりませんでした。しかし一番答えに詰まった問いが、高校2年の時にありました。 それは、ある友人がキリスト教を小馬鹿にした後に、「お前は信じてんの?」と聞かれたことでした。昔から、神様がバカにされると腹が立ちました。恐らくそれは、間接的に親や教会の人達がバカにされている気がしたからだと思います。しかしその時、死んだら天国ではなく、地獄に行く確信がありました。だから腹立たしく思いながらも、その問いに「ハイ」と答えることが出来ないという苦しい経験をしました。

そして時は流れて今年の8月、この月に受け入れるキッカケとなる3つの出来事がありました。

一つ目は、日曜学校のキャンプでした。基本的には、小学生中心という感じのキャンプだったので、メッセージの時間はあまりなく、このキャンプでの変化はあんま無いかな、と思っていました。 僕が今までイエス様を受け入れるのを拒み続けていた理由は、神の存在や聖書のことばが信じられなかったわけでも、自分の罪の意識が無かったわけでも、愛されていることを知らなかったわけでもなく、小さい時からこの経堂集会という集合と、そこで奉仕する両親を見て来たために、そこに兄弟として入って責任を負うことを恐れていたからです。そのことには長い間、気付くこともありませんでした。 そのため、半ば強引に疑問を作り出し、自分を正当化しようと努めて来ました。そしてこのキャンプの時も、二日目の夜に先生である兄弟達に意味をなさない質問を繰り返していました。今思えば、あの時、寛容を持って聞いてくださった兄弟達に本当に感謝です。 そして次の日、キャンプの最終日だったのですが、「個人面談」なるものがあって、先生と一対一で話す機会が与えられました。そこで話をしたわけですが、その時その先生から「昨日の夜、話してたことなんだけどさ、実はMちゃんと関係ないよね、ヒッヒッヒッ」と言われ、その時、漸く自分が真理と闘っているつもりをして真理から逃げていたことに気付かされました。

二つ目は、8月の後半に行った経堂集会の「交わりキャンプ」でした。このキャンプでは、兄弟姉妹が一人ずつ近況報告する時間が設けられていました。当然僕は、バプテスマを受けていないので報告をする人達のリストに名前は載っていませんでした。僕は同じ部屋の兄弟が報告の内容をまとめているのを横目に気軽にキャンプを楽しんでいましたが、3日目の最終日、全員の報告が終わった後に何故か僕も話すハメになりまして、いきなりだったもので何を話したらいいか分からなかったので、取り敢えずブツブツと何か喋りました。 実際のところ、何を喋ったのかはあんまり覚えていません。ただ、その時、頭の中では、今、自分の抱えている問題が、神の救いを拒むに値する内容かについて考えていました。結果としてこのキャンプは、自分の心を整理するのに十分なきっかけを与えてくれる形となりました。

そして最後の三つ目は、8月31日(日)のゴスペル・アワーでした。この時のメッセンジャーは僕の父親でした。その時のメッセージがやたら僕に言っているみたいに聞こえて、「交わりキャンプ」で僕が言ったことを聞いて作ったのかなと思っていました。しかし、実際メッセージは、僕の心の深い所まで届いていました。そして特に印象に残った聖句は、以下の箇所でした。 「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです」(ローマ10:10) そして、メッセージが終わった後、父親が僕の所に来て、感想を聞いて来ました。そこで僕は、「僕に言ってるっぽいところが良かったよ」と嫌味半分に言いました。そうしたら父親は大真面目に「あれだけ人数がいるのにMだけのためにするはずがない。自分に言っている気がするのは、聖霊が働いている証拠だ」と言ってきました。 そして僕を座らせて長期戦モードに入ったので、「仕掛けて来たか、余計なこと言っちまった」っていうのが本音でした。それでも取り敢えず椅子に腰を掛けて話をしました。その時、受け入れられない理由を聞かれましたが、周りに多くの兄弟姉妹もいるのに「集会で色々やるのはだるいし自信ないから」と言えるわけもないし、長年の逃走根性が染み付いていたので、その場も何とかお茶を濁して逃げ切りました。

しかし部屋に戻ってよく考えると、自分の中で救いと、拒む理由の不等号は、すでに明らかでした。それにも拘らず、受け入れないのは新境地への不安を盾に逃げ回るただの臆病者だということに気付き、臆病者を神様は喜ばれないことを思い出しました。そして、伝道者12:1に「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」という聖句を思い出しました。そして、その日の夜遅く、父親を叩き起こして信仰告白へと踏み切ることが出来ました。 実際のところ、その時の気持ちは、再臨の恐れからの解放と、今まで有耶無耶だった心境が晴れたことでホッとしたというのが正直なところです。もちろん、きっかけはこの三つだけではありません。今年の3月にあった友達のバプテスマに立ち会ったこととか、7月に信仰告白した友達がいたこと、また、デボメールなるもので聖書を読む機会が与えられたことなど、たくさんの要因があると思います。こうして振り返ると、本当に神様は全てのことを益としてくださっているんだなあと痛感します。 また、一年前に友達に聞かれた「お前は信じてんの?」という問いに、心から「ハイ!」と答えられるようになったことを感謝します。最後に僕は、ドラえもんが好きなのですが、のび太がドラえもんを慕うように、僕も神様を愛し慕って行きたいと思っています。ありがとうございました!

2003年11月23日(日)バプテスマ式にて

経堂キリスト集会  〒156-0052 東京都世田谷区経堂5-29-12  電話:03-3427-5447

≫ 旧ホームページ


初めての方
経堂キリスト集会とは
アクセスマップ
フォトギャラリー
イベント案内
ゴスペルアワー
特別集会
家庭集会
ミニストリー紹介
日曜学校
KKS(青年会)
婦人会
シャロン会
あかしコーナー
救いのあかし
Bible関連
書籍の紹介
映画の紹介
関連リンク
English Info
PDF(406KB)